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片桐農園日記 *ポノポノ便り*

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片桐農園ヒストリー

いつから農園はやっているのですか?何代目なの?
と聞かれることがあるので、以前園主から聞いた話をまとめてみました。

1945年(昭和20年7月)
現在の園主片桐光一の父(省吾)が現在の砂川市東豊沼を開墾。

戦争末期、当時6人の子ども達(戦後女の子が生まれ全部で1男6女)を食べさせるために、
会社勤め(当時のサンモク工業)と並行して農業を始める。


終戦の混乱の中、会社を辞職した父・省吾は、
1949年(昭和24年)、暮らしていくために苗圃を始める。
(戦争中の伐採で木材が減少し、昭和25年国の政策として植林が開始された。現在の緑の募金活動
植林苗としてカラ松・トド松・エゾ松・ポプラ・プラタナスなどを育てる。
1959年(昭和38年)まで生産販売する。


父・省吾は花も好きで、自宅用に菊やダリヤの花など趣味で育てたものを知人などに分けたりしていた。
花も商売になると感じ1961年(昭和36年)に花の生産販売を開始する。

1967年(昭和42年)現在の園主が、関西の市場勤務を経て片桐農園を引き継ぎ現在に至る。


*園主のエピソード*
園主(片桐光一)が中学2年生の時、
砂川市内の寺町にあった大宮書店の本棚で店主の趣味で置いてあったサボテンに出会う。
サボテンに魅せられた少年は、この頃すでに父・省吾が趣味で花苗を作っていたハウスもあり、
サボテンを育てる環境も整っていたことから、光一少年はサボテンをたくさん収集し育てていた。
そんな中学生の光一は当時はサボテン少年と呼ばれていた。


*父・省吾のエピソード*
父・省吾は戦前、上海の木材工場に勤務していた。
工場では材木を乾燥させる方法として、戦時中油や電気が充分に使えない時、
オンドルを使って木材を乾燥させる試作に携わっていた。
それを住宅の暖房に使えないかと上海の住んでいる自宅をオンドル化した。

戦争が厳しくなったことで上海から引き上げ、
サンモク工業でオンドルによる人工乾燥機を作り、終戦まで勤める。
終戦になって会社を辞めた省吾は、生活のため農業を始めが、
農業だけでは子ども7人を育てるのは厳しく、
会社勤めをしていた頃の技術を生かし家庭用のオンドル作りをして生計の足しにしていた。
園主光一も中学生の頃はよくオンドル作りに借り出され、いつもドンツキばかりしていたという。

オンドル온돌溫突、温突)とは朝鮮半島で普及している床下暖房である。クドゥル구들)ともいう。

朝鮮式の漢字では「突火煖寢」もしくは「堗厝火」とも。

本来の形式は台所の竈で煮炊きしたときに発生する煙を居住空間の床下に通し、床を暖めることによって部屋全体をも暖める設備。(Wikipediaより)




by sea-htc | 2017-12-05 08:27 | 片桐農園生い立ち | Comments(0)